小さな人間の想い@大草原

昨年8月の末、モンタナ州に初めて出かけた。

アメリカに住むようになってから30年を超えるが、モンタナ州を訪れるチャンスや理由がこれまで特に無かった。訪問先として候補に全く上がらなかった関心外の土地だった。


数年前に夫の恩師の紹介で、
アメリカン・プレーリー・リザーブというアメリカの大草原の自然や生態系保護と回復活動をしている非営利団体に出会ったのが、今回のモンタナ訪問のきっかけになった。この団体のミッションを伝えるためのイベントに数回参加した後、この恩師に、「実際にこの団体の活動の場、モンタナ州のプレーリーを見てくると良い。」と勧められていたという経緯がある。今年の初め、サンフランシスコで行われたイベントでは、アメリカ屈指のドキュメンタリーフィルム監督のケン・バーンズがスピーカーとして、またこの団体の支援者として登壇した。アメリカン・スピリットの根元にある、大自然の尊重と敬意が、彼独特の詩的とも言えるナレティブで語られ、バーンズの世界に吸い込まれるように聞き入ってしまった。このイベントが直接的なきっかけとなり、今年はどうしてもモンタナへ行こうということになった。観光シーズンが終わった8月の末、秋口の仕事が重なり始める直前の隙間に丁度予定が合って、アメリカン・プレーリー体験の旅に出ることになった。この団体が保護している地域や生態系を見学し、団体で活動している研究者の話を聞くことが主な目的である。

サンフランシスコからたったの1時間40分で、モンタナ州のボウズマン空港に到着。案外近い。シリコンバレーに住んでいると、カナダに近い北方の、それほど話題にならない州というイメージを持ってしまうモンタナ州だが、実は、見どころのある、スケールの大きな自然で知られている。ボウズマンは、イエローストーン国立公園の北の入り口が近い。19世紀の初めにルイス&クラークが、トーマス・ジェファーソン大統領の指示のもと、アメリカ史上初めての北西部大陸横断の可能性を証明することを目的として探検隊を統率決行したが、この探検隊の活動の多くはモンタナ州のミズーリ河が舞台となったことでも知られる。

1803年にルイジアナ買収に成功し、アメリカ国土が2倍に増えた史上稀に見る出来事の直後で、ルイス&クラークの探検がアメリカの西部開拓にもたらした影響は多大である。日本で学んだアメリカ建国史では、ボストン・ティーパーティーから、独立戦争、1776年の建国から、南北戦争まで、割と早足で出来事を辿った記憶はあるが、ナポレオンからルイジアナを買い、その直後に西部の探索を決行したトーマス・ジェファーソンの構想とそのインパクトについては、あまり話題にされなかったような気がする。トーマス・ジェファーソンは、当時28歳のルイス陸軍大尉にこの探検の目的を明確に伝えている。「この探検のミッションは、ミズーリ川とその主流に繋がる支流、さらにコロンビア川、オレゴン川、コロラド川など太平洋との連絡水路を探索し、大陸を最も短い距離で太平洋まで横断し、通商を行う目的で通行できる陸路を発見することである。」この探検について詳細に綴られたStephen Ambrose 著のUndaunted Courage は、19世紀アメリカ創世記の歴史を知る上で欠かせない一冊でもある。

この19世紀初めのルイジアナ買収と、ルイス&クラークの探検、その後の西部開拓が無かったら、今のアメリカは無かったと言っても過言でない。また、この出来事を取り巻く、イギリス、フランス、スペインの動きや役割も、非常に興味深い。モンタナ州訪問をきっかけに、ルイス&クラークの探検を実現させたトーマス・ジェファーソンの構想や、国内での意見対立、欧州諸国の動き、ルイジアナ周辺のフランス統治の弱まりとハイチの独立など、アメリカの領土拡大の歴史について学べたことも旅の大きな収穫だった。

ボウズマン市自体は人口5万人程度の小さな街だが、モンタナ州立大学(学生数約1万4千人)があり、モンタナ州の中では比較的大きな街。シリコンバレーの住民、特に富裕層が、ボウズマン周辺の壮大な環境の中に別荘を持つ例も少なく無い。ビル・ゲイツやエリック・シュミッドのようなビジネス界の大物やセレブリティのみがメンバーになっている超高級リゾートも近隣にある。「シリコンバレー・ノース」と呼ぶ人が出てくるほど、シリコンバレーの成功者がこの地に居を構え、壮大な自然を楽しむ生活を送っている例が多くなっている。今回の旅のきっかけになったアメリカン・プレーリーの活動も、シリコンバレーのベンチャー・キャピタリストや大手企業のエグゼクティブ、東海岸、中西部の富豪有志の積極的な参加と貢献が大きな支えになっている。

今回の旅で出会ったこの土地に住む人達は、「とても住みやすい。」、「スキー、ハイキング、釣りなどのアウトドアの活動を気軽に楽しめる。」、「学生の街なので生き生きしている。」、「賃金のレベルがこのあたりでは、一番高い。」など好ましい点を挙げていた。街の雰囲気と周囲の自然環境からして、シリコンバレーの何かと忙しない日常とは、かなり雰囲気の違うライフスタイルが可能なことは確かだと感じる。ちなみに、シリコンバレーで4ベッドルームの一戸建ては、大体$3MM から$6MMなのに対し、ボウズマンでは、5分の1から6分の1くらいのコストなので、リタイアメント後の移住先にもなっているらしい。一方で、レストランやスーパーで体験した日常的なサービスや商品の価格レベルは意外と高い気がした。世界でも屈指の観光地であるイェローストーン国立公園や、上述の富裕層の別荘地住まいなどがあって、日常的な物価レベルは結構高めになっているのかも知れない。

ボウズマンから近いイェローストーン国立公園の近くで2日滞在した後、3日目にいよいよアメリカン・プレーリーが環境保護と再生活動をしている地域へと向かう。この団体でメンバーの世話役をしているマイケルの車に数日分の食料、飲料、その他必需品を積み込んで、5時間余りのドライブが始まった。モンタナ州のど真ん中を北東に向かい、ミズーリ河を渡って更にバイセン、プロングホーン、プレーリードッグなどの野生動物保護地域まで向かうドライブで、まず感じるのは、モンタナの自然の広大さだ。走っても、走っても際限なく広がる草原と遥か彼方に並ぶ山陵、そしてその背後に聳える山脈の峰々。インターステート・ハイウェイ90号線から州道へ、さらに舗装もされていない大草原の中のダートロードを走って、やっとたどり着いたのは、アメリカン・プレーリーの拠点の一つで、今回の訪問のベースキャンプ、エンリコ教育センターである。

このセンターで紹介されたスミソニアン・インスティテュートから派遣されている自然環境の研究チーム、アメリカン・プレーリーのスタッフの6人は、4月頃から、この地で調査と研究活動をして来たとのこと。マイケル、私と夫の3人が加わって、9人がキッチンとリビングルームを共同使用することになるが、広々とした間取りで、心地良い。ベッドルームが8つあるこの施設は、かつて牧場主一家が住むランチハウスだったものを改装したそうだ。周りには、同じ敷地内に3ベッドルームの一戸建ての家があり、フルタイムで、アメリカン・プレーリーのこの地域での活動を監督指導している夫婦が住んでいる。また、トラックが5台くらい停められる車庫があり、スタッフ、研究員がフィールドワークに使用する器具や道具も収納している。その敷地の外は、見渡す限り360度、大草原が広がっていて、州道方面から引いている電線と電柱以外、人が作ったものは全く見当たらない。どこを見ても、大地が果てしなく続き、その終わりの境界線は大空と接している。視界を遮るものは、全くない。空が大きい。こんなに大きな空を見たことは初めての気がする。モンタナ州と言えば、ビッグ・スカイ・スキー場と言われる理由が、実感として分かった。運が良ければ、遠方に屯するバイセンの群れが見つかることもある。もっと運が良ければ、軽やかな躯体のプロングホーンのカップルが草原を翔ぶように横切って行く光景を見ることもできる。


今回知り合ったスミソニアン・インスティテュート派遣の研究員たちは、プレーリードッグの生態系について調査をしているとのこと。その調査の学術的詳細については、私の知識では正確に書き切れないが、大草原の生態系全体の中で重要な役割を果たしているプレーリードッグの数を適正値まで回復することを目的とした調査だそうだ。プレーリードッグの数が著しく減少してしまった背景には、アメリカの西部開拓に伴う牧場経営上の必要があった。プレーリードッグが掘る穴に家畜の牛や馬が躓いたり、足がハマってしまったりして、怪我をするケースがあったことや放牧されている牛や馬が食べるべき牧草を食べてしまうことが嫌われて、大量に駆除されてしまったらしい。その結果、プレーリードッグの数が激減し、大草原に於ける生態系のバランスが崩れる一因になった。西部開拓時のバイセンの大量ハンティング、牧場経営者によるプレーリードッグの駆除、共に目の前の人間の経済活動を優先して自然のバランス、長期的なサステナビリティを犠牲にしてしまった例である。

かつては、北米の大草原に相当数のオオカミや熊も生育していたし、通称アメリカン・バッファローと呼ばれる、バイセンも、何百万頭という単位で自由に群れをなしていた。バイセンが消滅の危機に迫るほど激減してしまった最大の直接的原因は、19世紀の西部開拓に伴う大量ハンティングである。それまで、アメリカ大陸の原住民は、自然と調和しながら生きる糧としてバイセンの狩猟を行い、必要なだけ獲得したバイセンは全て無駄なく生活のために活用していた。原住民はバイセンとそれを与えてくれる自然に対する感謝の気持ちを持っていたため、バイセンを尊ぶ祈りや儀式が重要だった。ルイス&クラークの探検隊も、原住民の知見に頼り、その知恵とスキルに助けられて探検を成功させたことが記録に残っている。ルイス&クラークが可能にしたその後の西部開拓は、自然と調和した世界観を持った原住民とは全く違く観点で、自然の中の生物や動物を、自らの利権のために制覇し獲得して力によって所有権を主張し、行使することだった。そういう人間の群れが怒涛のように押し寄せて自然と原住民を制覇して行ったのが、アメリカ西部開拓史の非情な一面である。

アメリカン・プレーリー・リザーブは、このような過去の過ちを正し、生態系の歪みを是正して、自然を保護し、更に野生を取り戻す、リワイルディングと呼ばれる活動を進めている。私たちの案内をしてくれたマイケルの他に、バイセンの専門家、大草原の生態系全体の専門家、鳥類専門家など、自然保護とリワイルディング活動に専念しているチームは、短期的な自己利益に惑わされてしまった人間が犯した間違いを是正できるという信念を持って活動している。チームのどのメンバーも、自然に対する深い敬意を持って活動していることが、彼ら、彼女らの謙虚で大袈裟で無い口調や、穏やかで静かに輝く優しい目線から伝わってくる。早朝まだ暗いうちに調査に出かけ、日没頃には、一通りの活動が終わる。その日の成果に関わらず、戻ってきたチームには、1日の活動の終えた満足感のような雰囲気が漂い、カウボーイハットを脱ぎ、フィールドジャケットの埃を払いながらジョークを言い合う仲間たちの笑顔は清々しい。

1日の終わりに共同で作る夕食のテーブルを囲みながら、共有される今日の発見のストーリーは、微笑ましいほど純粋で、心が洗われる想いがした。この大自然に比べると人間一人一人は小さい存在ではあるけれど、心ある人たちが集まって、こういう団体を作り、大自然とその生態系を守る活動に取り組んでいる姿。お土産に買ってきたカウボーイハットを手にする度に、彼ら彼女らの笑顔が目に浮かんでくる。少し大袈裟な言い方だが、私の世界観を広げるきっかけを作ってくれた、夫の恩師と大草原で日々活動を続けるアメリカン・プレーリーのチームに心から感謝している。

アメリカン・プレーリー・リザーブのスタッフと

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