やらないことを決めるということ

ヨセミテ国立公園

(2022年6月に綴ったコラムに加筆・修正を加えています)

住まいから車で2時間。YOSEMITE LAKES近郊に小旅行にきました。

大自然に囲まれ、家族水入らずでのんびりと過ごす贅沢な時間

直前まで生徒の提出レポートと向き合っていた緊張感溢れる時間との差

その落差があればあるほど、今の時間をより豊かなものとして格別な感を味わうことができます。(26人の生徒へフィードバックしたレポートの数はこの8週間で計108に上りました)

みんなそれぞれに本分というものがあって、折に触れてそんな本分から離れてみて、趣味に興じたり、アートを見たり、自然に触れて物事に対して感情や気持ちを受け取る力(感性)を磨いたり、本を読んだり物事に対して考えたり理解したりする力(知性)を育んだりすることが大切な気がします。

それが回り回って、本分に返ってきて相乗効果をもたらしてくれたりすれば尚更ですよね

そう思う人がそうしたことに時間を捻出しようとするときに決まって “時間がないという壁に阻まれる” という声を耳にします。

人には一日24時間という時間が等しく割り当てられていて、その時間をどう使うかは完全に自分次第

脳の中は何に時間を割くか忙しく意思決定の連続で(しないことも含めて)、まさに可処分時間の取り合いを瞬間瞬間で行なっているのだと思います。

星野リゾート代表の星野 佳路さんは年間60日、大好きなスキーを滑ることを公言して、年始に先ず60日のスキー休暇を決めてカレンダーで年間の予定を塗りつぶしてしまうと。やることを決めてしまうという考え方です。

そして、対談相手の楠木 建さん(一橋ビジネススクール教授)は、

“やることを決めるということは、やらないことを決めること” をしないと成り立たないと述べています。

このやらないことを決めるというのが中々の難儀

しかもそれは、誰かに言われたから変えられるという簡単な行為ではなかったりします。

5年前息子が(当時11歳)、“今年のサマースクールには行かない。それが僕のDecisionだ” と、私たち両親に面と向かって言ったことがあります。

親として、本分を全うする限りにおいて、それ以外の時間をどのように使うかは本人の意思に委ねるという方針でしたので、息子が自身で考え、決めたことを尊重してきました。

あれから3年。この夏も自由に過ごすのだろうな、と思っていた息子に大きな変化が訪れたのです。

それは、Summer Academy(サマースクール)で、Geometry(幾何学)をとるという言葉

これは裏を返せば、彼の中で思い描いていた夏の過ごし方の中で、やらないことを決めたということがすぐに分かりました。

この心境の変化を推し量ることはできませんが(本人に聞いても、なんとなく、という答えしか返ってこないので)、誰から言われたわけでもなく自身で決めたことに大きな意味がある思っています。

この夏の彼の成長が今から楽しみです。

(あれから更に2年が経って)

16歳になった息子の今年の夏は、ピアノ一色の夏となりました。夢中になれる何を見つけた息子をみていて、微笑ましく思うとともに、自分らしく生きることをこれからも探求し続けていって欲しいと願っています。

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