New York State of Mind – それぞれのニューヨーク

ふと振り返ってみると、クリスマスの雰囲気が街中に溢れるこの時期にニューヨークを訪れることが随分増えていたことに気付く。娘がしばらくニューヨークに住んでいたことや、仕事の都合が重なったのが理由だが、華麗なクリスマスの演出を満喫できるこの時期にニューヨークを訪れることができるのはラッキーだと思う。今年も、日経とファイナンシャル・タイムズの共同イベント参加や仕事を兼ねて、12月の2週目をニューヨークの中でも、最も賑やかなタイムズ・スクウェアの近くで過ごした。

日経―FT 共同イベント、FT Live、ニューヨーク

日経―FT 共同イベント、FT Live、ニューヨーク

通常は、もう少し静かなセントラル・パーク・ウェストやサウスのあたりの宿泊を選ぶが、今回は滞在期間が短いので、敢えてブロードウェイの劇場や、5番街、ロックフェラー・センター、ブラアント・パークなど、クリスマス・マーケットやミュージカルの劇場に徒歩で至近距離のタイムズ・スクウェアの近くを選んだ。ホテルから一歩出ると、全方向から押し寄せる騒然とした人混み、視界を埋める大型ネオンサインの眩しさが一気に刺激となって飛び込んで来る。気を張って早足で歩かないと、人混みに押し流されそうだ。日常は、カリフォルニアのサバーバン・ライフで、ゆったりしているだけに、ニューヨークに来るとそのエネルギー、スピード、緊張感が結構刺激的で、気持ちが若返る気がする。

思えば、大学3年の時のアメリカ初体験はニューヨークで、あの時も、5番街を中心にその界隈を闊歩することで、エネルギーのスーパーチャージをしていた。とりわけニューヨークのアートの世界に触れることが、最高に心地良かった。東西には五番街から7番街の間、南北には42丁目あたりからMuseum of Natural History とメトロポリタン美術館を結ぶ線に囲まれたほぼ長方形の中に点在している演劇、ミュージカル、美術、音楽の殿堂巡りをすることを今でも、何よりの楽しみにしている。現実の自分にそんな才能は全然無いけれど、生まれ変われるものならば、「ニューヨークのアーティストとしての人生を送りたい!」と思ったりもする。ニューヨークには自分の現実では叶わない夢の世界があって、それ故に、訪れる度に感激がある。訪れる度に20歳の夏に感じた感激と可能性に対する期待を思い出す。無数の人々が足早に行き交う雑踏で聞こえてくるさまざまな言語や、目に飛び込んでくる多様な文化の形と色彩に圧倒されながら、ここには未知の可能性が存在していると感じたあの時、それが私のアメリカの原点だった。

Times Square & Radio City Music Hall, December 2024

Times Square & Radio City Music Hall, December 2024

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「故郷のドミニカ共和国には戻りたくないの?」という私の問いに、“There is something special here, something my country doesn’t have.” とイーゴーは答えた。イーゴーは、JFK で乗車したウーバーの運転手で、子供は2人、奥さんはブロンクスの家の近くの食品店で働いているという。JFK からマンハッタンまでは、普段より一層ひどい交通渋滞で、思ったより時間が掛かり、メールのチェックや暇つぶしのゲームにも飽きて、このウーバーの運転手と自然に会話が始まっていた。「時間掛かって悪いね。回り道もできないから。。。」と済まなさそうに会話を始めた彼に、「大丈夫よ。こういう混雑の中で毎日運転は大変でしょう。ニューヨーカーだから平気?」と聞き返したところ、「もともとニューヨーカーじゃなくて、ドミニカから来たんだよ。ニューヨークは大変だけどね。ここが好きだから。」と始まって、彼の人生観を聞くことになった。

Dominican Republic 出典:VisitDominicanRepublic.org

Dominican Republic
(出典:VisitDominicanRepublic.org)

ドミニカ共和国と言えば、バケーションの行き先としても割と人気があり、ゆったりとしたライフスタイルと気の良い国民性で知られている。ニューヨークとは全く反対の環境なので、お節介ながら、イーゴーが普段本当にこの大都会で幸せに暮らしているのか、少し気になってしまった。しかし、彼の返事とその答えっぷりは、意外なほどポジティブだった。「祖国には無い何かが、この土地にはあるんだ。大変だけど、ものすごくハードに働いている。10年以上掛けて市民権もとった。ここで暮らしていると、何でもできそうな気がしてくるんだ。そういう特別なものがある。子供は大学にも行けそうだ。真面目で頑張る子に育っている。DR (ドミニカ共和国の頭文字、ドミニカ出身の人たちは、祖国をDR と呼ぶらしい。)にいたら、子供が大学に行くことなんて、あり得なかった。そういう階級じゃないからね。頑張って働いて、親に送金している。New York で$1000 なんて、あっという間に無くなってしまうけれど、DR だったら5倍、いや10倍くらいのものが買えているかも知れない。親や近所の人に感謝されて、嬉しいんだ。年に一度帰省して、楽しんでるよ。海が綺麗だし、食べ物が美味しいからね。」

彼の話を聞いていて、その明るさと逞しさに、ホッとさせられた。近年アメリカの移民(特に不法移民)に対する風当たりが強くなっているだけに、彼のように市民権をしっかりと獲得して合法的に働き、しかも幸福感や達成感を感じている人がいることに安堵感を覚える。話を聞きながらドミニカ共和国の経済状況をさっと調べてみたところ、名目GDP 1135億ドル(2022年:世銀)、観光収入が77億ドル、海外からの送金が104億ドルとなっている。イーゴーのような海外在住者からの送金収入が、対GDP比で9%を超えている。(*注)国民経済にとって重要な役割を果たしていることは明らかだ。イーゴーは恐らくそういう大きな数字は見ていないだろうが、自分の送金が実家や地元で有り難がられることを実感していて、誇りに思っているのだろう。時には一日15時間も働くことがあるという。「そんなに長い間車を運転したら、背中や腰に響くでしょう。ちゃんと休憩してストレッチしてる?」と聞いたところ、「してるよ。大丈夫だよ。」と笑顔で返してきた。祖国への送金や子供を大学に送ることが、頑張りの原動力になっているのだろう。「それにしても、15時間は長すぎよ。クリスマス前だし、少し休んでね。Merry Christmas. 」と言って下車した。普段よりも、チップはちょっと多めにしたのが、私からのほんの僅かな彼へのエールになったことを祈っている。

(*注)外国在住者からの送金は、国内生産では無いため、GDPにはには含まないが、規模を示すために、対GDP比を使用。

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Hudson Yards で友人と食事を済ませ、ミッドタウンへウーバーで向かう途中、車の窓からニューヨークの夜景を眺めていたら、Billy Joel のNew York State of Mind がどこからか聞こえて来るような気がした。あのピアノ、あのサックス。。。Billy Joel は、1971年にリリースした最初のアルバムの質にも契約にも満足できず、落胆して生まれ故郷のニューヨークを去り、ロサンゼルスに拠点を移す。最初はそれほど有名で無いバーなどで演奏していたが、飛び抜けた音楽の才能は、Piano Manのヒットを生み出す。自信を取り戻してニューヨークのホームタウンに戻る帰路、グレーハウンド・バスに乗りながら、書き綴った歌が、New York State of Mind となってリリースされたのは1973年だった。(参考:Biography.com, Billy Joel, 2024年2月)

ところが彼が戻ったNew York は、犯罪とドラッグの横行する汚れた街だった。市の財政も破綻直前という悲しい現実を見て、この街を勇気づける何かが必要だと感じたそうだ。2015年のNewsday のインタビューで “It really needed a boost, and I wanted to write an anthem for it.”と語ったという。そして数十年後の2001年に、この歌は、まさにニューヨークを勇気づけるanthem となる。9/11 のテロから約1ヶ月後、Billy Joel は、消防士や被害者救済のチャリティーイベントで、消防士のヘルメットをピアノの上に置いて、New York State of Mindを歌った。彼自身もバンドのメンバーも、涙が出そうになるのを堪えながら、消防士のヘルメットをしっかりと見つめ、消防士たちへの想いを支えに最後まで歌い続けたと語っている。

今年の最後に、読者の皆さんへのお礼の気持ちを込めて、Billy Joel がマジソン・スクウェア・ガーデンで歌ったPiano Man のビデオ(カット無し)のリンクを掲載する:マジソン・スクウェア・ガーデンのライブ (できれば大き目のスクリーン、フルスクリーンでご覧ください。)2014年に開始し、10年半続いたマジソン・スクウェア・ガーデンでの毎月の定期コンサートは、毎回ほぼ完売で、20,000 人近くの聴衆を集めたという。その最後のコンサートが今年の7月に行われ、150回に渡る彼のライブ・コンサートの幕を閉じた。今年75歳を迎えたBilly Joel が満席の聴衆と歌う姿、20,000人近くのファンが、Billy と共に、体を左右にスウィングしながら歌う姿。この歌の余韻が、Billy の人生の余韻と重なって行く。そして、彼が歌い終えた後、聴衆に向けて残した言葉は、まさしく ”Thank you, New York City!” だった。

Madison Square Garden, December 2024

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