ヒューマン・コネクション【6】

いまも続く人生の師との交流 (前編)


はじめに

”全ての瞬間は唯一無二であり、全ての出会いは一期一会”

みなさんにも、人生に大きな影響を与えてくれた方がいることと思います。

英語でOnce-in-a-lifetimeと表現されるこの言葉を耳にする度、僕には思い出す方がいます。

降旗 健人さん、この方との出会い無くして自身の人生は語れない、僕にとって降旗さんはそんなとても大切な存在です。

退職、留学、長男誕生、卒業、海外赴任、転職と、人生の大きな決断の度に、報告そして時に相談をさせていただきました。

これまで、節目節目の連絡の折に ”中村くん、会おう” そう言ってくださることが何よりも嬉しくて、降旗さんに近況を報告し、パワーをいただくことが、日本への一時帰国の楽しみとなっています。

探究心をもたれ、学びつづけておられるその姿勢、お会いするたびに ”僕になにかできることはないか” と、色々なご縁を繋いでくださる利他のお人。

降旗さんとの出会いを通じて、自分の人生の変化を綴ってみたいと思います。

出会い

降旗さんとの初めての出会いは、千葉県船橋市に当時伊藤忠商事が保有していたスポーツ施設のテニスコートでした。1994年夏のことでした。燦々と降り注ぐ陽の光に思わず目を細めてしまうほどの晴天だったことを覚えています。

白いポロシャツと短パンという出で立ちでコートに現れ、同じチームでダブルスのパートナーを組んだお相手が、半年後に入社する会社(国際デジタル通信株式会社)の社長だった降旗さんでした。

"きみは、なかなか面白い球を打つなぁ。” 軟式テニス上がりの私のトップスピンをかけたフォアハンドのショットを見て、そのように仰ったことを朧げながらに覚えています。

そうしたご縁から始まり、以来、入社後もテニスコートの上ではパートナーとして、テレコム業界の親睦テニスのトーナメントなどで一緒に出場させていただきました。

テニス部での活動なども通じて、降旗さんの誰に対してもフェアで、分け隔てなく接するお人柄を間近で感じる機会に恵まれました。

ご縁があると感じながらも、まさかそのご縁が現在にも亘り続くことになるとは、その時はまだ想像だにしていませんでした。

鳥肌が立った瞬間

一方で、一度入社しオフィスにいる時間は社長と新入社員。言うなればピラミッドでいうところの天辺と底辺。業務でお目にかかることは当然のことながら見事に無い。

そんな中で、降旗さんにお会いできる数少ない場が、仕事始めの社長の年頭挨拶。難しいことをとても分かりやすく、起承転結のあるストーリーがある降旗さんのお話しは社内の誰もが楽しみにしていました。

入社翌年、所属する外資営業部の企画で開催したクルージングパーティーで、海外のVIPのお客様を前に流暢な英語でスピーチされる降旗さんの姿をみて鳥肌が立ったことを思い出します。

下積み時代

新入社員時代のこと。同じ部署、同じ寮だった同期の聖治と毎朝8時に出社。

14階の複数の複合機に前夜から明け方にかけて世界中から届いている大量のファックスに目を通し、宛先 (To) そして、複写 (c.c.) に名前のある役員の方、全員分のコピーをとり、18階の社長室から11階の顧客サービス部まで各フロアにいる役員の机に配布するのが僕たち新入社員の日課でした。

そしてそれは、後輩が入るまで2年に亘りつづくことになります。

当時の部長がすばらしかったのは、右も左も分からない我々にパーパス (目的・意図) をきちんと説明してくれたことです。

確かそれは、”いずれ上司や先輩のサポートなく独り立ちできる日を見据えて、経営陣が海外のVIPや海外支店を行なっているかを今から知っておくというのは決して損なことではない” という話だったと思います。

朝一時間早く起きて出社しコピー配りをする時間を惜しむのか、その時間を将来への投資と考えるのか、そう問われているように解釈した記憶があります。

大それた目標

コピー配りを通じて触れる降旗さんの英語。

”どうしたら、降旗さんのようなでっかい人になれるだろう?”

”降旗さんに僕の存在を仕事を通じて知ってもらうことができるだろうか?”

そんな大それたことを考えていた新入社員時代でした。

社長賞

社長に仕事で存在を認めてもらえるチャンスとして、『社長賞』を社長から直に授かる場をおいて、これ以上は無いと思いついたのです。まさに若気の至りの極みです。

それから3年の月日が経ち、メンバーとして携わったプロジェクトが『社長賞』を受賞。上司そして仲間とチーム一丸で取り組んだ成果。それを代表で受け取ることになります。

念願が叶い、社長から直に手渡しされた時に、降旗さんに直視され、いただいた ”おめでとう” のひと言に、言い表せないほどの達成感と高揚感を感じたことを鮮明に覚えています。

心に空いたおおきな穴

入社して5年目の夏、国際デジタル通信はイギリスの通信会社であるケーブル・アンド・ワイヤレスグループ (CW) 傘下に入り、CWグループのアジアハブとして事業運営されることになります。

そのタイミングで降旗さんは第一線から退かれます。時を同じくして、社会人となりビジネスのなんたるかを身を以て指導いただいた大先輩、僕にとって最初の上司が会社を去ることになります。

自分が慕う大先輩二人が自分が大好きな会社を後にされる。それは心にぽっかりとおおきな穴が空いた状態でした。その空虚感を埋めてくれたのが、上司と共に手がけ育ててきたビジネスでした。

立ち止まっていられないとばかり、朝から晩まで無心に働いたことを覚えています。

(写真:2001年、就職雑誌に掲載された採用広告)


親友が繋いでくれたご縁で妻と出逢い、結婚をしたのもそんな激務に追われた年でした。

そして、僕は入社からの念願だった海外駐在の切符を手にすることになります。


ほろ苦い経験

香港に渡り、自分がいかに井の中の蛙であったかと悟るのに時間はかかりませんでした。

CW香港オフィスでは、様々な国からのメンバーが集まり、日本人は僕一人。過去の成功体験がここでは全くといっていいほど通用しない。

グローバルな環境で働くっていうことはこういうことなんだ、と身をもって思い知らされました。

このままではヤバい。充実したオフの時間とは対照的にこれからの自身のキャリアに対する猛烈な危機感を募らせる時間を過ごすことになります。

香港での得難い経験は、キャリアを棚卸し、自分が目指したいキャリアの指針を立てることができたことだと思っています。

そして、2004年末、日本への帰任が自身のおおきな人生の決断へと繋がりました。

奇しくも、その決断に降旗さんの存在が大きく影響することになるとはその時点では想像だにしていませんでした。

(後編につづく)

降旗さんと2年ぶりの再会では話に大きな花が咲きました (2022年1月10日)

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