ヒューマン・コネクション【4】

プロセスに宿る学びの本質

人間の創りだしたテクノロジーは発展に発展を遂げ、もはや止まる所を知らない。

その変化のスピードに、私たち人間は翻弄されながらも、振るい落とされまいと、必死でもがいているように見える。

そうしたテクノロジーの発展のお陰で、ペンを持ち替え、今こうしてキーボードに叩いた言葉が瞬時にして地球の裏側にも届けられることの恩恵と、テクノロジーへの過度な依存に対して感じる恐怖。

少なくとも僕はテクノロジーとの適度な距離の取り方を掴めず、正直もがいている。

私たちは、テクノロジーが薦める記事、サービス、商品、音楽、映画、ポッドキャストなどを、自分の頭であまり深く考えることなく、あまりに素直に受容したりしてはいないだろうか?この状況に抗うことは無駄な抵抗なのだろうか?

人間と、人間の生活を豊かにするはずのテクノロジーの関係は、その主従が逆転してしまってはいないだろうか?そんな問いを立ててみると胸騒ぎがするような危機感を覚えます。

テクノロジーの発展や科学の進歩によって明らかになる様々な事柄は、私たち人間がいかにちっぽけな存在であるかを残酷にも示す一方で、謙虚であれということを教えてくれます。

そのことは、人間の価値とは何かを考える絶好の機会をも与えてくれていると感じます。

私たち人間は、自らの頭で問いを立て、課題に向き合い、新しい価値を創造できる素晴らしい力を持っていると。

人間の価値を最大限に発揮する上で、私たちが決してしてはならないのは、自らの頭で考えることを放棄してしまうこと。これに尽きると思うのです。

では、そうならないためにどうしたらいいのでしょうか?

それには、何事も鵜呑みにしないこと。

それがどんな権威のある人の言葉であっても、例えそれが長い期間に渡って正しいと謳われてきたルールであったとしても、ちょっと待てよ、と囁く斜に構えるもう一人の人格を自分の頭の中に住まわせるように。

そして、自分の中で問いを立て、相反する意見を闘わせてみて、自分なりの仮説を立ててみる。

それを信頼できる知人・友人にお願いして、私の主張に対して、あえて反論意見を述べてもらう。(Devil’s advocateと言います)

*****

先日、ペンシルベニア大学院の1学期が終了しました。この学期のテーマは「Evidence」でした。

3ヶ月に亘り、膨大な課題図書、各種文献と向き合い、ようやく最終課題のResearch Memo (修士論文の序章に該当) を仕上げ、提出を終えることができました。今までの人生の中で最も傾きの急なラーニングカーブを描いた3ヶ月であったと振り返っています。

その過程は、まさに自ら問いを立て、自分の頭の中で侃侃諤諤の議論を闘わせ、自らの仮説を実証するために参考文献を読み漁るというもので、それを経て仕上がったドラフトを信頼できる方々にお願いして、論理の矛盾や主張が弱い点を徹底的に叩いてもらうことで、内容を洗練させていく。まさに終わりなきプロセスを繰り返しながら、提出期限まで人事を尽くしました。

この一連のプロセス自体に、最大の学びが宿っているのだと自らの体験を通じて確信を得ることができました。

そのプロセスに欠かせないのが新たな気づきと考えを深める良質な問いを投げかけてくれる他者の存在。

無茶なお願いを聞き入れて協力してくれる人のつながりの大切さ・ありがたさをまざまざと実感しました。感謝しかありません。

“いつもいつも次に繋がるワクワクを頂けて、Kaneさんとの対話は本当に楽しいです。Kaneさんの研究テーマには物凄く興味があります。ぜひ今後も情報共有いただければ幸いです。調査データの整理などお手伝いができることがあれば、ぜひ言ってください。

人事は尽くしました。晴れて進級できますように👏

Previous
Previous

ヒューマン・コネクション【5】

Next
Next

ヒューマン・コネクション【3】