新しい価値を創り出す人財【2】

2. 日本企業向け人財研修を開始した経緯

月日の流れは早いもので、主に日系企業向けの人財トレーニングを正式なプログラムとして提供し始めてから、8年近くになる。企業戦略コンサルティングから、人財トレーニングに重きを置くことにしたのは、意図的なピボットというよりは、必要に迫られたものだった。また、研修の内容も当初は日本からの駐在員を対象とした、シリコンバレーでの活動をするためのOJT を中心とした実地訓練から、「新しい価値を創造する」新規事業開発トレーニング、イノベーション人財トレーニングに変化して行った。

スタンフォード・ビジネス・スクールを卒業した直後は、東京で大手コンサルティング会社に勤務し、外資系企業の日本市場戦略策定と戦略実行支援が主なコンサルティングの内容だった。クライアントは、アメリカ、イギリス、フランスの伝統的大手企業で、いずれも、日本に既に進出していたが、市場浸透に苦労していたり、初期の成功後、成長が鈍化している企業だった。これら欧米3社の大企業は、誇らしい長年の伝統があるだけに、その成功体験に頼る傾向が強かった。1980年代から90年代と言えば、インターネットの黎明期。1995年にGoogleとAmazon が登場して、一気にインターネットの普及期に入ったことを考えると、1980年代の後半から1990年代の初めに、そういう時代が来ることを予期せず、従来の伝統的ビジネスの延長線上で戦略を考えていたことに問題があったのは明らかだ。クライアントとのミーティングの中でも、新しいテクノロジーがもたらす影響についての議論は殆ど無かった。これは、もちろんクライアント側のみの責任では無く、勤務していた大手コンサルティング会社の方でも、インターネットの黎明期という重要な時期にありながら、そういう視点でクライアントに対するアドバイスをするに至っていなかった。世界屈指という定評のコンサルティング会社でも、そういう状況だったことは、今から思うと興味深く、また不思議でもある。今と比べると、情報伝達、拡散のスピードが、ずっと遅かったことが主な理由なのかも知れない。

1990年代の中頃をイギリスとドイツで過ごした後、1990年代後半に再びシリコンバレーに戻ってからは、シリコンバレーのVCが出資したポートフォリオのスタートアップに対し、日系企業との交渉準備や交渉プロセスのマネージメントに関するアドバイスをすることが多かった。この過程で、マインドセット、メンタリティー、意思決定プロセス、時間軸など、スタートアップと日系企業の間には、深いギャップが存在していることを改めて痛感した。当時は、今と比べるとシリコンバレーのマインドセットやエコシステムに関する情報が、日本で普及していなかったので、日系企業に対しては、シリコンバレーでは通念になっていることを、かなり基本的なところから説明しなければならない場面が多かった。今では誰でもどこからでも簡単にアクセスできる、TechCruch, PitchBook, CB Insights, TECHBLITZ などが当時はまだ全く存在していなかった。しかも、Googleが創立されたばかりという状況だったので、日系企業の方々も今と比べると情報収集には苦労されていたと思う。それでも、この頃シリコンバレーをはじめとする北米を訪れる日系企業の方々は、比較的明確な目的や提携候補とのコラボに関するイメージを持っていたので、日米のギャップはあっても、両者のニーズ、リソース、提供できるものの擦り合わせをしながら、win-win の関係が成立する形に持って行ければ、それが成果となった。

そうこうしている内に、インターネットの急速な普及で、過剰に拡大したインターネット・エコノミーは、2000年3月をピークに、バブルが弾け、ペット・ドットコムを代表とする多くのEコマース企業は消滅した。一時は、コンピュータ・ネットワーク機器のメーカーとして、インターネット普及の波に乗り、時価総額で世界一を誇ったCisco Systemsも、このバブルで80%の価値を失う。ブームに乗ってスタートアップを始めたものの、バブルが弾けて閉業したり、大手テック企業でレイオフの対象になった人が、周囲にも相当出てきていた。一方で、このバブルを生き抜いたGoogle, Amazon, Salesforceなどは、確固とした勝ち組として残った。ここでアメリカの起業家精神の逞しさに感心するのは、ドットコム・バブルの打撃にも関わらず、ほんの数年の内に、さまざまな起業家が登場し、続々とスタートアップが生まれてきたことである。次々と新しい価値を創造しようとする人たちが絶え間なく生まれてくるこの土壌、環境、カルチャーの中で生活していると、「大幅なダウンターンは、あって当たり前、そういう時こそが新しい価値を提供し始めるチャンス」「失敗は学びのチャンス。失敗から学び、早く立ち直って、また新しいチャレンジに!」「失敗をしていないということは、十分チャレンジしていないということ。」など、やや前のめり過ぎと感じられるようなモットーを当たり前のこととして、仕事への姿勢(ひいては生き方の姿勢)として取り入れるようになる。


実際ドットコム・バブルのピークから10年以内に、Facebook (2004)、Airbnb (2008)、WhatsApp (2009)、Uber (2009) などが生まれているのだから、やはりこの辺りの起業家は凄いと思う。ちなみに、1993年に創立されたNvidia は、この間、着々と技術革新を進め、主にゲーミング業界向けの3Dグラフィックスからアクセラレーテッド・コンピューティング用GPU の開発へと進み、2010年代頃から、本格的にAI を念頭に置いた技術開発と製品革新に取り組み始めていた。Nvidia のJensen Huang が最初のDGX (注1)をOpenAI に自ら届けたのは2016年のことだった。今世界で最も注目されているJensen Huang とそのチームは、ピーター・ティール氏が述べる「新しい価値を生み出せる人財」の要件を全て満たしていることにも注目したい。私は2018年ごろから、Nvidia の動向に非常に興味を持ち、様々なメディアでJensen Huang をフォローして来たが、彼の困難な課題に率先して挑戦していく姿、常に将来に対する構想と確信を持っている点、テクノロジーのブレイクスルーを可能にできる能力、具体的計画に基づいたオプティミストである点、チームの動員力、それら全ての総合力からして、今世紀最高のビジネス・リーダーの1人と言って間違いないと思う。

(注1)NVIDIAのDGX とは、AI、ディープラーニング用に設計された高度パフォーマンスのコンピューティングを可能にする高性能GPUと最適化されたソフトウェアの組み合わせのシステム。参考:Nvidia Webページ上の解説

こういう元気の良いシリコンバレーのニュースが2010年頃から日本に盛んに流れるようになり、2015年頃には、日系企業が次から次へとシリコンバレーに人を送るようになった。2015年に元安倍首相がシリコンバレーを訪れ、イロン・マスクの運転するテスラに試乗したり、スタンフォード大学での対談を行ったりして、メディアの注目を浴びたことも一つの弾みになった。スタンフォード大学でのこのイベントには、US Japan Council のご好意で招待いただき、満席の会場で安倍首相とシュルツ元国務長官の対談を実際に経験することができた。日本のメディア、日系企業からの参加も多く、日本のビジネス界のシリコンバレーに対する興味の急速な高まりを象徴するイベントだった。このような雰囲気にも乗って、シリコンバレーにイノベーションの糸口を見つけようとすることは、ある意味では当然の動きなのだが、この頃シリコンバレーに初めて駐在員を置くようになった日系企業の多くは、「シリコンバレーは凄い。」という話を聞いてきたトップの方が、「シリコンバレーに人を送って情報収集をせよ。」という指令を出し、突然そういう使命を与えらた駐在員が、あまり明確な目的や行動計画を持たないまま、「とりあえず」赴任してきたというケースが非常に多かった。「とりあえず」情報収集から始めるのにも、準備や研修も不十分なままで赴任し、本部サイドからの指示や、活動目標も、多くの場合が、不明確だった。その結果、赴任の1年目は生活に慣れることに時間を取られ、これと言った成果が無いままに終わり、2年目に事情が少し分かり始め、3年目には帰任を意識した活動になる、というパターンが多く見られた。次のローテーションで赴任してくる人も、ほぼ同じパターンで3年を過ごすことになる。大抵の場合、2〜3人のチーム体制にしているので、ざっと計算しただけでも億単位のコストが掛かっていることは明らかだが、そのコストに見合った成果をあげている例は、当時まだ片手で数えられる程度だった。


この時期に面談を希望されてコンタクトして下さった日系企業の駐在員からは、「実際何をどこから始めたら良いか分からない。」、「本部から具体的な指示も無いし、本部サイドでも何を期待すべきか分かっていないと思う。」「シリコンバレーで活動を始めるのが、どれくらい難しいか理解してもらえない。」という類の話を良く伺った。たまに、日本から視察に来られる取締役レベルの方達の中にも、「正直言って、何をさせたら良いか、分からないんです。」とおっしゃる方が少なく無かった。こういう状況を目の当たりにしながら、普段付き合っているスタートアップの起業家達や、その強力なバックアップをしているVC などと、相当違った次元のところにいる日系企業の状況は、正直言って「まずい」と感じた。そこで、急遽まずは困っている日系企業のシリコンバレーに於ける活動支援という形で研修を始めることにした。(つづく)

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